昭和51年03月24日 朝の御理解
御理解 第80節
「年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先に生れてきたのではない。みな、神のおかげで生まれてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを敬うのぞ。若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心がけておるがよい。」
昨日は、春の霊祭があのような形で奉仕させて頂きました。なにか私は昨日、普通のお月次祭よりもなんか淋しい思いが致しましてね、どういうことだろうかと、まぁ思うておりましたんですけれども、これはその参拝者の参拝に致しましても、神饌のお供え物に対しましても、これだけたくさんな人がお参りをして、あれだけたくさんのお供えがしてあったにもかかわらず、なんかそんな気がするんです。
それで例えばお供え一つでも、あのうあんなお魚なんかは、それこそ大祭の時にお供えするような大きな鰤のお供えができましたし、私の場合はあの鰤が通って行きます時に、あの鰤が絞ってあるのに腹を上に見せておるところを頂くんです。という事はあのういわば、鰤のお知らせはぶりぶりとしたおかげといわれるのですから、それが反対になっておるという事はぶりぶりとしたおかげでじゃないということなんです。本当にあいすまんことだなお詫びをさせて頂いておりましたら。
あのうそのう鰤の前にでております鯛があのうまぁ恐らく2枚合わせてお供えするつもりでのお供えだったんでしょう、あのう普通月次祭ぐらいな、いわゆる絞るにはちょっとこますぎると言った様な、絞られない様な鯛のお供えがあっとりましたでしょう。だから鯛のお知らせはおかげと仰るから、ぶりぶりとしたようなおかげではなくて、その反対のおかげがこもうなるとこう私は感じたんです。鯛が小さいから。鰤だけはどうかつりあいがとれん、もうそのことが気になって仕方がない。
まぁご直会が終わってしもうてから久富先生が足を、久富繁雄さんと二人で奉仕させて頂きながら、今日はどうしたことじゃったかね、あのう合楽のお供えには似合わんお粗末な事だったね、やっぱり神饌は素人だけに任せずに、先生あんたが一辺せにゃいかん、また神饌長である若先生が一辺は見てみらにゃいかんなと私は申しましたら、それがあなた昨日は鰤と同じような大きな鯛がきとったそうですたい。大変おかげを頂いて博多の魚市場の一番偉い人が大変おかげを頂いて。
鰤とその大鯛をもうそれこそ、見事なお供え来とったのにも関わらず、その冷蔵庫に鰤と一緒に入れてあるにも関わらずその鯛をお供えしとらんわけです。まぁそれを聞かせて頂いたら、もう本当にこれは責めるわけにはいかんのです。まぁ昨日は嘉朗さんが責任者で、松栄会の方達が担当しておりましたから、やっぱり教会内の者がちゃんと見かけをしなきゃいけない。とにかく盛り付けなんかでも、あのう嘉朗さん当たりなんか器用な人ばっかりじゃない。やっぱり不器用な人もおるから。
もう私は後からまた神饌し直させて頂いて、久富先生にしてもらうようにしたんですけれども、せっかく御霊様のいわばご大祭と言う様な大事なお祭りに、こんな事でよかろうかと思うておるところへ、その鯛のお供えが冷蔵庫の中に入ったままであると言う事です。もういよいよ神様に対してもう本当に私の不行き届き、これは神饌長でもなからなければ神饌のまぁ担当した嘉朗さんでもない。久富先生あんたがちょっと注意ばせんけんくさいとも言うたけども、これも久富先生じゃない、誰を責めるわけにはいかん。
もう自分をやはり反省する以外にない、もう夕べからその事ばっかりをお詫びさせて頂いとる。そしたら今朝からまた控え室へ出てから、お詫びその事をお詫びさせて貰いよったら、蕾みを大事にせんからと頂いた、この頃から頂きましたです、いうなら大祭とか霊祭とかというのは教会のいわば花です。お参りが溢れるようになるとか、神饌物がそれこそわりわりするようなお供えがあるとか、これはいうならば教会の花です。
それを教会長のお前が蕾みを大事にしとらんから、花が咲きそこのうた明くる日どん咲きよる、と言った様な事になったんだという意味のお知らせを頂いて、またいよいよお詫びをさせて頂いとった。どこが蕾みを大事にしなかったことだろうか、どこがこういういうならお気付けを頂かなければならないことであっただろうかと、また昨日の御祈念に続いてそのことをお詫びさせて頂きよりましたらね、お詫びさえすりゃええという事じゃないですね信心は。
いかにお詫びをしたところでですね、こちらが姿勢を正さずしてお詫びをしたって、お詫びは叶うものじゃないです。もう三十年にもなります、私が信者として一番最後に親先生に来て頂いて宅祭りをしたことがあった。お参りはその時でもやっぱ4、50名ありました。そのあたりは北野の方達がお話に聞きにきよりましたから、久富先生のお母さんやら中村さんたちがもうそれこそ、団体であのうお話を聞きに来ると言った様な時分ですから、最後の私の個人のお祭りでしたけれども。
けれどもそのうお祭りというてもですね、別ににそのうもう何もかもが無いないづくしの時分ですから、お鏡さんでも丁度前の日に親戚の御祝儀のお配り物を頂いて、紅白の中に餡子の入っとるとですよ。それが丁度こまい三方に一杯大きなあのうざっしょちいうですかね、お餅があったからもそろえる。川の物というてもその前の日に、あそこはなんというんですか、船端の漁師さんのお家に親教会の鯉を買いにいきました時に、お茶うけにこのぐらいばっかりの、漁師さんのお家はお茶うけでも魚を煮たつですよ。
こちらは魚を食べきりゃせんしね、ですから勿体無いから頂いて帰ろうというたから、それこそ竹の皮に包んでから、またそれに追加が出て、ならこれもっていっちくださいというてもろうてきました。それが川の物としてのお供え、やっぱり神様っちゃね、海、川、山、の草々の物をもうそう言う程度ですけれども、印しだけ集めて下さったですね。そのお祭りの時にご直会の時ににね、あのうそれこそ野菜尽くめのこう一人一人の盛り皿がでけておりました、その中にね、かぼちゃの天ぷらがあったんです。
それが丁度これはまるきり海老の天ぷらのごたるね、と言うたそのことを頂くんですよ、今日御祈念に。海老をきったらこう丸くこういうような格好になりましょうが、それを天ぷらにあげてあるから、丁度海老の天ぷらのように見えるわけです。そして改めてです、なるほどお詫びだけじゃいかんなぁ、改まらにゃいかんなぁ、姿勢を正してからのお詫びであり、願いでなかなければ同じ事だという事です。
例えて言うならば、中身はかぼちゃで海老に見せようとするような心根が、お前の心にがあるからじゃと。自分が信心も出来とらんのにです、自分が信心が出来とるように、本当な物でもない物に、本当の物のように見せようとする、その心根が神のきかんにかなわんと。だから昨日はわざと神様があぁ言うそれこそ、ぶりぶりとしたあの鯛いっちょでも、なんかこう乱れた感じがしましたよね言うならば。御霊様の方どん持っていくなら丁度良かったのだろうけれども、片一方の鰤はこんな大きな鰤だったでしょう。
それに方いっぽの鯛はいわば、普通の月次祭の時のような程度の物でしたから。それはちゃんとお供えが来てる真心いっぱいで。そういう意味じゃ明日お供えでだけはさせてもらわにゃいけんよ、せっかくの真心できとるとだからと。本当に昨日のお祭りに本人が参ってきてなかったから良かった。参ってきとるどんするなら腹かかっしゃったよというて、まぁ言うた事でしたけれども、それとても久富先生じゃない嘉朗さんじゃない、結局は私自身人を責めるということじゃない、自分を責める以外にはない。
そこでお詫びをさせて頂いた。ところがお詫びだけじゃいかんという事です。私は詫びれば許してやりたいのが親心といわれるけれどもね、許そうにも許されない事があるわけです、ただすんませんすんませんだけじゃ。神様のそこに意図というものをね、神様の心というものは、お詫びさせようというのじゃない、改めさせようというのです。お前自身が本当のものでもないのに、本当のように思わせようと言う様な心があるから、神がここにこういうお気付けをもって現した。
なるほどそう言う意味でつぼみを大事にしてなかったから、昨日咲かなければならんのが明くる日どん咲いたと言った様な事に私はなったんだと思うのです。分からにゃいけません。昨日私は今日の御理解を頂いて思うのですけれども、佐賀の武雄の教会の教会長先生が長崎県のある教会の、もう五十何年布教に出られてなられて、教会長先生は八十二歳といっておられました。その先生をお導きしてお参りしてみえました。ちょうどお祭りが始まる一時間ばったり前でしたから。
実はもうこれは、もう合楽の先生でなからなければ御相談を申し上げる人はなかろう、お願いをする方はなかろうと、武雄の先生が言われるので、実はまぁいうなら恥を偲んでお願いにでてきたとこう言われるのです。お話を聞かせて頂きますと、息子さんの教会長先生が四十二歳で亡くなられた。奥さんもやっぱ教職をもって子供さんもある。けれどもその嫁さんにはかからずに、自分の本当の娘が教職を頂いとるから、それに養子をしてその教会を継がせようということでもう問題が起こった。
その長男の嫁になる人が教会を自分はでらんという。出るならば三千万円金をやれといわれるそうです。それでその当時の教務所長の森所長先生にお願いをして、中に入ってもらったけれども解決しなかった。今度の教務所長にも入ってもらったけれども、どうにもらちがあかない。ますますこんがらがるばかり。そこで佐賀の教会の先生にもお願いをした。金光様にも二度もお取次を頂いてお願いをしたけれどもらちがあかん。
もう困って困って困り抜いて、悔やまれた時に武雄の先生が、もうとてもそげな事ならば一つ合楽の先生に何もかも打ち明けてお話をしたらどう、お取次を頂いたらどうかというので、私は甘木関係の方ですから、甘木に今日はなんかあってから見えたと思うた。ところが実は今日はその事で来ておるといわれる。私そのことをお取次、応接間でさせて頂きよりましたら、あの応接間の大きな木掘りの観音様があるでしょう。
あの御観音様の下の台座に、蓮華の花がこうやってしてあって、その下に蓮華の花が反対になっておるところがありますよ、二段になって。上の方は上に向いておるけれども、下んとは下向いとるという、その下を向いとるとを頂くんですよ。だから本当に私はあのう平田さんの話を致しました。平田さんがあんな病気でいよいよもう難しかろうという時に、信徒会長がとにかくあのう教団にとっても大事な人、だから甘木関係だからなんとかじゃない、やっぱりお願するようにお取次ぎを頂いて、見舞いに行きました。
もうその時にはすでに面会謝絶で、だれが行っても会えないというほど悪い時でした。けれども私はそのお取次ぎをさせて頂いたらゴムバンドをね、ゴムバンドのこう丸いやつを、二つにこうやって回してあるところを頂いたんです。だからちょっと手で触っただけでピンとこう、あのう丸うなると言うお知らせを頂いたから、ほんな所が分かりゃねおかげになるよて、もう難しか事はよか、だからこの事だけはぜひ私はそれに対して、こういうところがある。
こういう所がいけん、こういう所を改まって、こういうお願いをしなさいという秋永先生にその事を持たせ、よこして見舞いに行きました。もう絶対面会は出来ん、いや今日だけは絶対私はあわにゃ出来ん、こういうあれを頂いたもんだからというて強引に合わせて頂いた。そしてその話をさせて頂いたら、それこそ平田会長が涙を流して、こういう事を言うてくれるのは、合楽の先生ほかにないというて喜ばれた、それから不思議におかげを頂いです。
それこそちょっと手で触っただけでパチッとこう開くような感じね、それから十日ばっかりのうちには、散歩させて頂けれるぐらいにおかげを頂いたという事になった。その時確かに安藤さんだったでしょうか、そういう合楽でもみんながお祈りを一生懸命させて頂いておる、ということで平田さんのお家、まぁあちらからお参りもしてみえたら尚おかげ頂きなさるじゃろうというところだったでしょう、安藤さんがその事を平田さんのところに言いにみえた。
そしたらもうけんもほろろに、私の方は甘木の教会にちゃんとお願いしよるけんもうお願いは止めて下さい。もうそれを境にまたバタバタになりましたよ、だからその事は知ってある二人の先生方でしたからその話をしました。これは病気だけの事じゃないですよ、事件の事だけじゃないですよ。どういう事でもどんなに、もつれにもつれとるとでも神様のお働きが始まったら、それこそ鋤櫛で鋤く様に綺麗におかげを頂くもんですよ。
私が今あなた方の話を頂いてね、分らせて頂く事はいわゆる蓮華の花が下むいとる。だから是を引っくり返して上向きという事は極楽、反対という事は地獄という意味でしょうもん。蓮華の花が逆さまになっとるそれこそ鰤が腹をみせとると同じ事。ブリブリの反対そしたらねその先生がね、もう本当に恐れ入りましたというてこの事は金光様にもお届けはしきりませんでしたというて、それからまた赤裸々な話を聞かせて頂きました。
もう先生そういわれりゃ確かに、御霊が地獄にいっとるじゃろう、どういう事かと思うた。ところが自殺しちゃるです、息子さんが42歳で。しかも本当に言葉には出されないようなです、悪い事をして三年間の執行猶予で、おかげを頂いたと思いよったら、その三年間たたん内にまた同じ悪い事をした。いわゆるとうとう逮捕になる、そして出てこられてから自殺、この事は先生あのう金光様にもお取次ぎを願いましたけれども、申し上げてなかったけれども、先生に今その蓮華の花の逆さまになっとるところを聞かせて頂いて、本当にそうどこじゃなかろうと、息子が極楽にいっとらんはずという事をいわれて、それで時間がたちましたんです。
だから私今日、まぁ今からお風呂に入ってあの用意せんならんから、あのうなんだったらお祭りが済むまで待って下さいと、いやそんならお祭りを拝ませて頂きましょう。今日実は先ほど先生にお願いをして、腰ごしと先生のお話を頂こうと思うてきとるとですからと、82歳のおじいさんの先生がね、50何年間の教職をもっとる先生が、いうならそういわれますから、先生信心だからお年じゃないですね。
私が60いくつ、貴方が80いくつけれども、今日は一つ年を忘れて、後から話し合いを致しましょうやと申しました事でしたが、今日は80節の年寄りを大切にせよという事は、決して撫で擦りする事じゃないと言う事ですよ。この年寄りが本当に助かることのためには、なら例え若いもんが年寄りでも、ならひたく様な事でもしなければならないという事が分りますね。はぁもう年をとってあるからもう82にもなるお道の先生だから、もう本当に下にもおかんごたると言う様な事だけではいけんって。
恐らく平田社長先生が二代の社長先生に渡ってされたけれども、やっぱり九州のまぁいうなら長老といわれるような、80いくつになられる先生ですから、ただ先生には言わずに例えば嫁子なら嫁子だけにいうちからすると言った様な事じゃないでしょうかね。中に入られたけれども解決しない、却ってこんがらがるばっかりで意地になって絶対私は教会は動かん、もし私が動かにゃんなら3000万円よこせとこういわれる。
そこでなら昨日のお祭りを頂かれて、一番前で二人でお祭りを頂いてお説教を頂いて、涙をふきふきお話を頂いておられました。そしてお祭りが済んで挨拶にみえましたがです、もう初めて私の目が覚めましたと、今日は一晩かかりでもゆっくりしてからお話を頂こうと思うたけれども、今日のお説教を頂いておるうちにですね、今日のこうただこういう教会にこういう事が起こってから、本当に世間に対してもあいすまん金光様に対してもあいすまん、嫁が3000万円よこせといわれ。
あるならよこしましょうけれども、家屋敷、教会の家屋敷を売って、それも宗教法人になっとるから、まぁ大変な手続きしなければその教会を売ってからでも娘と二人で買おうとまで思うった。けれども3000万円にならんちゅうわけですね。けれどもね今日のお話しを頂いて私の初めて目が覚めた。ただあいすまんあいすまんというて、お詫びばっかりさせて頂いておるという事ではいけないという事が分った。
私自身が改まった姿勢でお願いをさせて頂くなら、先ほど先生が仰るようにどんなにもつれにもつれたものでもすき櫛ですくようにおかげが頂けれると仰ったがね、蓮華の台座が下むいとるとを反対に向けなおす、神様の目からごらんになると、もうそれこそねゴムバンドをちょっとおしゃ二つになったら、がばっと一つになるように見やすいことであろう事がです分りましたち。もう今日ゆっくり話を頂きたい、今日のお説教を頂いて私の心が開けた。
今まではあまりにも人間、人間、それこそえらい先生方にお尋ねさえすりゃできるごと思うておって、自分が神様にお詫びさえすればよいと思うておったが、お詫びだけじゃいかん、姿勢を正さにゃいけん事が分ったというて、昨日は大変喜んでおられました。これからまた各自御神縁を頂いたから、一つまたお引き寄せを頂くようにおかげの泉を、昨日はおかげの泉の大事な話をしましたでしょう。だから末永先生にいうてから前から全部送って頂きたいというて、そのうまぁ注文をしてから帰られたという事です。
だからもう信心ばかりはいくら先生であるっちゃ、もう80にもいくつにもなっとるというだけじゃいかんわけです。信心はもう若い者はない年寄りはない、それこそ背負うた子にも教えられるというような姿勢が必要だという事、同時にお年寄りを大事にせよという事は、必ずしもなでさすりすることだけが、いうならばねしゃぐや敬うのぞとこう仰ることがです、ただそのこう持ち上げるだけが敬うのじゃない、問題はそのお年寄りが助からなければならない。いつもの神様の私はお徳に触れたら、もう本当に有難いと思いましたですね。
これでいわゆる亡くなった自殺をした息子もですね、極楽行きができるだろうというその喜びと、本当に自分が何十年間誤っとった、間違っておった事を悟らせて頂けれるという事がです、私は年寄りを昨日は大切にした事になるのじゃないでしょうかね、また年寄りを敬うと言う事に同んなじ事になるのじゃないでしょうか。信心させて頂く者よう心がけおくとが良い。今朝信心で言う年寄りを敬うという事は、ただなでさすりをすることじゃなくてね。
ここはこのお年よりに助かってもらわねばならんという時にはです、先ず一つもう年は無にしてないものにしてです。私はね助けられる手立てというか手懸りを作ってあげることが、そういう心がけにならせて頂かなければならんという風に、まぁ今日は80節を頂きましたからそういうふうに頂きました。同時に前半にお話をさせて頂きましたように、私の心の中に本当なものでもないものが、本当なものに見せようとするような、心の状態を改まらなければ神様には届かん。
ただすんませんでした本当にあげなん立派な鯛がきとったとにこまか鯛のお供えですんませんでしたとばっかりいうとったっちゃできん。それでお詫びつのったごたることじゃできん。それは神様が皮肉にもです、そういう事を分からせて下さって、咲く花も咲かんでようなお気付けを下さってあるという事を悟らせて頂いて、より本当なものよりいうならベターの信心という事は、いよいよ私がより本当なものにならなければならないという事が分りますですね。
どうぞ。